㉑スーツ
私は証券会社の営業マンだ。入社したばかりの新人である。度胸をつけるための練習として、飛び込みの営業をするように命じられる。個人宅、企業と順番を決めて訪問していく。
個人宅の多くは留守か対応してくれたとしても要件を話すと冷たく断られる。しかしながら断られるとダメージが大きい。
会社はどうか。中小企業は、入口を見つけても大きなハードルがこころに出来上がる。一歩が踏み出せないのだ。やっと入口に一歩踏み入れても今度は、どこに声をかけるのかわからない。
大企業、だれもが知っているような企業を訪問してみる。たいがい受付がある。制服を着た受付の方が、こちらを見るなり立ち上がり要件を聞いてくれる。さすが大企業だ。しかし、これは単なる儀式なのだ。機械的に応対しているだけだ。練習だと割り切って話しかける。
その時、一人の受付の女性が立ち上がり、受付のブースをでて、こちらに近づいてくるではないか。「何?どうした。」動揺する。美しい女性だ。新人社員の私にとっては、何が何だかわからない。さらにわたしの後方に回り込んだ。
女性は、わたしのスーツの襟が立ち上がっているのに気づき、直してくれたのだ。顔が真っ赤になった。ありがとうなんて言える余裕もない。その場を逃げ出すように去った。